こんにちは、井上和香奈です(^^)
これから生まれてくる子供に対して、色々と思うことがあります。
やはり第一に健康で生まれてきて欲しいという気持ちがありますが、
次に思うことは、私のように傷つきやすく、感性が敏感な性格にはなって欲しくないということです。
でもそう願う反面、「自分みたいになって欲しくない」ということは私の生き方を否定していることになるので、それってどうなんだろう?と思いました。
私はネガティブで、傷つきやすくて、喜怒哀楽の「喜」と「楽」をあまり感じるタイプではありません。
過去は、無理して世間的に「喜」や「楽」を感じると言われる行動を取っていたこともありますが、それらをやってもあまり楽しくないし、疲れるし、お金もかかるので、そういった行動をしても私はその感情は味わえない人間なんだと学びました。
損な性格だなーと自分で思います。
人生幸せそうな人が、むかつくほどうらやましかったです。
だけど最近は幸せそうな人を見ても、むかつきもしないしうらやましくもならなくなってきました。
それは、幸せそうな人のやっていること、手にしている環境をもし自分が手に入れたとしても多分自分は幸せを感じないだろうなとわかったからです。
これはかつて、無理して世間的に幸せだと言われている行動を実際に試したことで得た経験からわかりました。
例えば、飲み仲間がたくさんいて毎晩飲み歩いている人。
幸せそうに見えていましたが、私がそれをやったら翌日寝不足で機嫌悪くなりそうですし、そもそもお酒があまり強くないので頭痛くなったり気持ち悪くなったりして楽しくなさそうです。
他にも女友達が多くて素敵なカフェなどで女子会をしている人達。
キラキラして見えていましたが、私はひねくれているので、うわべだけの中身のないトークをしても楽しいと思えません。可愛くデコレーションされただけの食べ物にもあまり興味がありません。「早く帰りたい」と思いながらその場に居続けることが想像できます。
だから私は、そういう人たちをうらやましいとは思わなくなりました。
きっと私は、
「人生ってなんなんだろう」
「本当の幸せってなんなんだろう」
と一人で自問自答して、時にわかった気になって光が差し込んだと思ったらまた路頭に迷い、また問答を繰り返す。
そういう生き方が、なんとなく自分の望む生き方なのかもしれないと、諦め半分認められるようになってきました。
そんな自分の生き方は、傍から見たら絶対に幸せそうにはみえないと思うし、実際渦中の自分自身がしんどいと思っているので、我が子にはそうなって欲しくないと思います。
これは自分の生き方を否定しているのではなく、この特殊な生き方は自分にしかできないと思っているのだと書きながら気づきました。
それだけ自分の事を特別な存在だと思っているということで、自意識過剰にもほどがあるなと書いていて恥ずかしくなってきました。
でも、我が子に、世間一般的に幸せだと言われている生き方をして欲しいと願うことは、決して私の生き方を否定しているわけではないとわかったので、堂々と願うことができるようになりました。
そしてもし、私のような生き辛い性格の子が産まれてきた場合は、
私が40年近くかけてわかってきた
この生き方の楽しみ方を教えてあげたいと思います。
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