すっきりLIFE+ミニマム育児

些細なことで傷つき悩みエネルギーを消耗し生きる気力がなくなっていた時、ミニマリズムに出会いました。好きなことにエネルギーを集中したくて物と生活の無駄を減らしてエネルギー確保。思う存分悩める余裕も出てきたら不思議と悩むことをしなくなってきました。

かわいそうでもいいじゃない

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こんにちは。井上和香奈です(^^)

 

私の住んでいる集合住宅では、建物の前の敷地で子供たちを遊ばせている住人が多く、日中、興奮して叫び回る子供たちの声が周囲の住宅にぶつかって跳ね返ってきてハウリングを起こし渦を巻くように私の部屋を襲ってきます。

 

日中テレビをつけずに断捨離ブログやミニマリストブログをじっくり拝読するのが私の楽しみなのですが、その時間に襲撃されることが多いです。

 

先日ある子供が叫んだ言葉に心がヒリヒリしました。

 

「この人、友達一人しかいなくてかわいそうな人なんだよー」

 

一緒に遊んでいるお友達に対して茶化す感じで放った言葉だと思うのですが、私のことを言っているのかと思いギクっとしました。

 

その言葉の前後はただの音としてしか認識してなかったのに、それだけなぜかクリアに言語として私の耳に届きました。

 

私が最も気にしていることをつつかれたからだと思います。

 

子供のじゃれ合いの中で出てきた言葉なのに、40歳前の私は激しく動揺し心が乱れました。

 

友達がいなくてかわいそう。

 

私は長年こう思われないために多くの時間を割いてきたような気がします。

 

新しいコミュニティに属する時はいつも緊張します。

そしてどのコミュニティに属しても大してうまく馴染めず、孤独になりがちな自分と出会いました。

 

その繰り返しの中で、孤独になってしまう自分をあきらめることにしました。

 

だけどその日、その子供の言葉に反応してしまう自分がまだ居ることに気づかされました。

 

長年の悩みだったので条件反射的なものになっているのでしょう。

 

私はその日、「ああ、まだ気にしてしまう自分がいるんだな」と受け止め、思考を使ってこう考えてみました。

 

友達がいないとかわいそうなの?

 

そもそも「かわいそう」と思われてもいいじゃない。

 

私の全てを知っている人なんていない。

ある人が私の一部分だけを見て「かわいそう」と判断したとして、私の存在全てがかわいそうなわけではない。

 

そう自分で自分に唱えてみたら、確かにそうだよなと思えてきました。

他人のジャッジなんてあてにならない、他人にどう思われるかを気にしていた自分がアホみたいだ、と思えました。

 

この考え方を持つと、他人に「あの人は幸せそうだ」「いい暮らしをしている」「素敵な人だ」と思われるかどうかなんて、自分の幸せとは関係ないと思えてきます。

 

幸せそうな自分を演じきり、他人にそう思わせることに成功したとして、自分の心の中では「失敗できない」「ダサいところ見せられない」といつも不安で焦っていたとしたら、「それって幸せなの?」って自分に問うてみます。「他人に幸せな人だと思ってもらえた」→「それが何か?」となるわけです。

そして最終的に「人の目を気にしなくても大丈夫!」という結論に至りました。

 

これはたくさんの物を断捨離する際に、一つ一つ「これを購入した時にどういう基準で選んだか。そしてそれによって得たかったものは得られたか」を自問自答していく中で、「他人に低く見られたくない」という不安から選んだものは自分を幸せにはしてくれなかったという結果を目の当たりにしたことからそう思えるようになってきました。

 

今、新しく物を買う時はそのモノを購入することでいったい自分は何を得ようとしているのかと考えるようになり、選らぶ基準が変わってきました。

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