すっきりLIFE+ミニマム育児

些細なことで傷つき悩みエネルギーを消耗し生きる気力がなくなっていた時、ミニマリズムに出会いました。好きなことにエネルギーを集中したくて物と生活の無駄を減らしてエネルギー確保。思う存分悩める余裕も出てきたら不思議と悩むことをしなくなってきました。

不快な感情とどう向き合うようになったか

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こんにちは、井上和香奈です(^^)

 

私はここ数年、ある感情を強く感じるようになっています。

 

それは哀しみです。

 

何か悲しい出来事があったわけではないのですが、ひとりで電車に乗っているとき、朝起きたときなど日常のふとした時に哀しみが襲ってきます。

 

その時、哀しみはあまり気持ちのいいものではないので「何か楽しいことないかな」と哀しみを消す行動を取ろうとする自分がいました。

 

だけど楽しいことも思いつかない。

 

久しぶりに友達を誘ってお茶をしても、好きなお笑い番組を観ても、その瞬間は哀しみを忘れられますが、またすぐに哀しみに覆われている自分がいました。

 

哀しみの理由を考えました。

実家の母が心配で悲しい。

この世の中で生きにくい自分が不憫で悲しい。

これから生まれてくる子供も自分と同じ境遇になったらと思うと悲しい。

 

どれも当てはまるような気もしますが、それだけが哀しみの原因ではない気がします。

 

どれだけ楽しいことをしていても哀しみが襲ってくるので、もしかしたら私のベース部分、何もしていないニュートラルな状態が「哀しみ」でできているのはないかと思うようになりました。

 

私の存在が「哀しみ」だとしたらそれを取り除くことは自分を消すことになるので、嫌々ながら「哀しい」という感情を受け入れることにしました。

 

思えば哀しみとは長い付き合いでした。

 

幼稚園の時のことです。

母がもたせてくれたポケットティッシュを使おうとして急に哀しみが襲ってきたことを覚えています。

 

そのティッシュは、かわいい絵柄がプリントされたもので母が私のために私が喜ぶと思って買ってくれたと思ったらなぜだか悲しくなりました。

 

楽しそうなキャラクター達の絵柄がかえって私の中の哀しみを増幅させ、こんな状態でこのティッシュを使ってはいけないと思い、ティッシュを使うことができませんでした。

 

私はそのころからこの世界を悲観的にみていたような気がします。

 

母はそんな私の感情は知らず、私に楽しく喜びにあふれて生きてほしいと願い、一生懸命育ててくれているのに、こんな辛気臭い不幸な娘でごめんなさいとその頃から罪悪感を感じるようになっていました。

 

そこから少しずつ大人になっていくにつれて、周りのみんなに合わせ流行っているものや楽しいと思われることを一緒になってやっているうちに哀しみを紛らわせることができるようになりました。

 

だけどふとした時に哀しみが出てくるのでそれを感じないように、恋愛してみたり、流行りの場所に行ってみたり、買い物してみたり、旅行してみたり、自己啓発してみたりして思考を別のことに移し、哀しみを感じないようにするようになりました。

 

そのうちに常にそれらをやっていないと不安になるようになり、少しでも哀しみが出てきたら必要ない買い物をしたり、恋愛相手に依存したりするようになっていきました。

 

しかしいつまで経っても不安が消えません。疲れ果てた私はやけくそで、気持ちを紛らわすためにやっていた事柄をストップさせました。

 

それが数年前のことです。

 

すると案の定哀しみが湧いて出てくるようになりました。

わけもなく涙があふれ、私はうつ病なのではないかと疑うような日々を2年弱過ごしました。

 

そしてここ最近、哀しみは理由があって出てくるのではなく私自身が哀しみでできているのでは?と思うようになりました。

 

すると哀しみが出てきても鏡を見ているような感じで避けたいという気持ちが起こらなくなりました。

 

ただ他の人といるときに哀しみを出すことは控えるようにしています。それを嫌がったりする人もいるでしょうし、それで相手を不快にさせてしまうことは私の本望ではないからです。

 

哀しみを自分で受け止めることができるようになり、他人に癒してもらおうとは思わなくなりました。

 

他人がどんなに愛をくれたとしても私の哀しみはなくならないことを知ったから、というのもあります。

 

そしてつい最近ではこんな風に思えるようになりました。

 

人は生まれてくる時に「喜怒哀楽」のいずれかをベースに生まれてきているのではないかと。

 

世の中には多分ですが、楽しく喜びにあふれて生きている人もいると思います。

 

昔の私はそれをずるいと思っていました。哀しみを感じるために生まれてきた私はなんて損な役回りなんだと運命を恨みました。

 

しかしこんな風に思えるようになってきたのです。

 

ベースが哀しみになっているから、ほんの小さな幸せや喜びでも体に染み渡るほどに幸せを感じることができる、と。

 

かつて楽しそうにしている人が羨ましくて、その人たちがやっていることを真似た時期がありました。目新しいスポットに出かけたり、たくさんの人が集まる場所に出向きました。

 

でも今はそういうことをしなくても、部屋で一人ブログを読んだり、コンビニのデザートを食べたりすることで至福になれたり、歌番組で好きな音楽を聴いただけで震えるほど感動できたりすることを知りました。

 

なのでお金がかかりません(^^)

そう思うと哀しみをもって生まれた自分も案外悪くないかもと思えてきます。

 

これが「怒」ベースの人だった場合、私の予想ですが何か大きなことを成し遂げるための原動力となり、偉業や大成功をおさめることができるのではないかと思います。

 

この場合も「怒」を他人に向けず、自分の内側でエネルギーに変えることがポイントになると思います。

 

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